神後宗治、疋田文五郎といった弟子達を連れて北関東を離れた上泉信綱は、尾張国(現在の愛知県)の、とある村で、
ある騒ぎに出くわした。

狼藉を働いた牢人が子供を人質に取り、小屋に立て込もってしまったというのだ。

事の次第を聞いた信綱は、そこに居合わせた僧から袈裟を借り受けると、その場で剃髪してしまったという。

僧形で小屋に近付いた信綱は、猛り狂う牢人に、腹は減っていないかと尋ねたそうだ。

図星を突かれた牢人は、それでも油断する事無く、握り飯を戸口から投げてよこせと返答したらしい。

すぐに信綱が握り飯を一つ投げたところ、
牢人は腋に子供を抱えたまま受け取った。

直後、信綱は、子供の分だと言って、二つ目の握り飯を投げたという。

すると、牢人は子供に突き付けていた短刀を思わず手放して、その握り飯を受け取ってしまった。

その瞬間、信綱は小屋に飛び込むと、あっさりと牢人を取り押さえてしまったという。

相手を斬るばかりではなかった上泉信綱の性格を物語っている。

ご存知の方も多いだろうが、黒澤映画
“七人の侍”
のワンシーンのモデルにもなったエピソードである。

一説には、尾張一宮の妙興寺近くで起こった事件だったとか…。


歴史は常に動いている。



Android携帯からの投稿