祖父や父の影響で、剣に親しみながら育った上泉秀綱。

ある時、上泉城を訪れた愛洲宗通(あいすむねみち)という剣術家から陰流を学ぶ事となったという。

愛洲宗通の父は、上泉秀綱の祖父・時秀と親交のあった陰流流祖・愛洲移香斎である。

陰流とは、闘う以前に相手の意図を察する~即ち、目に見えない部分(陰)を知る事を旨とする剣術と言われている。

秀綱は、
“陰流ありてその他は計るに勝へず。”
と、陰流が自身が学んだ数々の剣技を上回ると考えたようで、
熱心に陰流を学び、遂にその全てを会得したという。

その後、それまでに学んだ諸流派の技と陰流の技に創意工夫を凝らした結果、
自らの剣技を

“新陰流”

と、称するに至ったのである。


歴史は常に動いている。




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