1523年、二回目の修行の旅に出た塚原卜伝は、
上泉秀綱との稽古の後、三河国で奇妙な男と出会ったという。
この男の父親は、今川家に仕えていたというのだが、自身は隻眼である事が理由で今川家に仕える事が叶わず、浪々の身となっていたそうだ。
暫く自分の下で剣術修行をしていたこの男に、
卜伝は、
“己れを認めてくれる君主に仕えるが良い。”
と、言ったと伝わっている。
やがてこの男は、甲斐の武田家に仕えたという。
この男、名を
“山本勘助”と言った。
江戸時代の軍記物『甲陽軍鑑』の中で、華々しい活躍を見せる、あの武田家の名軍師である。
山本勘助は、生涯、塚原卜伝を“心の師”として敬っていたという。
歴史は常に動いている。
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上泉秀綱との稽古の後、三河国で奇妙な男と出会ったという。
この男の父親は、今川家に仕えていたというのだが、自身は隻眼である事が理由で今川家に仕える事が叶わず、浪々の身となっていたそうだ。
暫く自分の下で剣術修行をしていたこの男に、
卜伝は、
“己れを認めてくれる君主に仕えるが良い。”
と、言ったと伝わっている。
やがてこの男は、甲斐の武田家に仕えたという。
この男、名を
“山本勘助”と言った。
江戸時代の軍記物『甲陽軍鑑』の中で、華々しい活躍を見せる、あの武田家の名軍師である。
山本勘助は、生涯、塚原卜伝を“心の師”として敬っていたという。
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