1518年、鹿島に帰って来た塚原新右衛門高幹は、京を出てから三年の間に何が有ったのかは判らぬが、まるで魂が抜けたかの様な姿であったという。
これを見た養父・塚原土佐守は、
当時、鹿島随一の剣客と言われていた松本備前守に相談する。
松本備前守は、高幹にとっては鹿島古流の師でもあった。
やがて松本備前守は、高幹に鹿島神宮への千日参籠を勧めたという。
神剣・フツノミタマが使いこなしたというタケミカヅチノミコトの下で、
身心を洗い直そうというわけである。
1522年12月21日、鹿島神宮の遷座祭にて、馬が一頭寄進された。
寄進者の名は、“塚原卜伝”。
卜部吉川家の剣技を伝える、という事を意味する、塚原新右衛門高幹の新たな名である。
塚原卜伝は、鹿島神宮での千日参籠により、
『心を新たに事に当たれ。』
というタケミカヅチノミコトからの啓示を受け、
『一の太刀』
という奥義を開眼し、後に卜伝の剣技は
『新当流』
と呼ばれるようになる。
歴史は常に動いている。
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これを見た養父・塚原土佐守は、
当時、鹿島随一の剣客と言われていた松本備前守に相談する。
松本備前守は、高幹にとっては鹿島古流の師でもあった。
やがて松本備前守は、高幹に鹿島神宮への千日参籠を勧めたという。
神剣・フツノミタマが使いこなしたというタケミカヅチノミコトの下で、
身心を洗い直そうというわけである。
1522年12月21日、鹿島神宮の遷座祭にて、馬が一頭寄進された。
寄進者の名は、“塚原卜伝”。
卜部吉川家の剣技を伝える、という事を意味する、塚原新右衛門高幹の新たな名である。
塚原卜伝は、鹿島神宮での千日参籠により、
『心を新たに事に当たれ。』
というタケミカヅチノミコトからの啓示を受け、
『一の太刀』
という奥義を開眼し、後に卜伝の剣技は
『新当流』
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