道鏡が法王となってから三年後の
神護景雲3年(769年)5月、
称徳天皇を呪詛したという罪で、称徳天皇の異母姉妹(父親は聖武天皇)の
不破内親王と、その息子・氷上志計志麻呂(ひかみのしけしまろ)が、
平城京追放&土佐へ配流とされた。

因みに、不破内親王の夫(氷上志計志麻呂の父親)は、藤原仲麻呂に担ぎ上げられ、
“今帝”と呼ばれ、仲麻呂が討たれた時に斬られた“塩焼王”である。

この事件、敵対していた仲麻呂と繋がりの有った者に、皇位継承の可能性が少しでも残されていれば、どんな事をしてでも潰そうとしていた称徳天皇の策略だったとも言われている。


歴史は常に動いている。



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