天平宝字8年(764年)9月11日の夜、
勢多の唐橋が落とされていた為に近江国衛への道を諦めた藤原仲麻呂(恵美押勝)は、
1ヶ月程前に越前国司になっていた八男・藤原辛加知(ふじわらのしかち)の元を目指し、琵琶湖西岸を北上していた。

この時、淳仁天皇を確保できぬまま平城京を出た仲麻呂は、自身に接近する事により中納言になっていた氷上真人塩焼(元皇族・塩焼王※天武天皇の孫)を“今帝”として擁立していたという。

しかし、同年9月13日、
越前との国境・愛発関を越えようとした時、追討軍の攻撃を受けてしまう。

勢多の唐橋を落とした追討軍がそのまま琵琶湖東岸を北上し、越前へと先回りし、藤原辛加知を討った後に、愛発関で待ち伏せていたのである。


歴史は常に動いている。



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