天皇御璽と駅鈴を押さえる事に成功した孝謙上皇は、仲麻呂(恵美押勝)一族の官位剥奪と財産の没収命令を下した。
同時に、東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、近江~越前国境の愛発関(あらちのせき)を封鎖したという。
平城京から脱出した仲麻呂は、自身が19年程前から国司を務めていた近江国衙を目指したようだが、
孝謙上皇は、唐で軍学を学んだ吉備真備に追撃させたのである。
吉備真備は追討軍を田原道から
勢多の唐橋(瀬田の唐橋)に先回りさせてここを焼き落とし、仲麻呂の進路を塞いだ。
因みに、この勢多の唐橋とは、かつて壬申の乱の折、最後の激戦が起こり、大海人皇子が勝利を決定的にした場所であった。
歴史は常に動いている。
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同時に、東海道の鈴鹿関、東山道の不破関、近江~越前国境の愛発関(あらちのせき)を封鎖したという。
平城京から脱出した仲麻呂は、自身が19年程前から国司を務めていた近江国衙を目指したようだが、
孝謙上皇は、唐で軍学を学んだ吉備真備に追撃させたのである。
吉備真備は追討軍を田原道から
勢多の唐橋(瀬田の唐橋)に先回りさせてここを焼き落とし、仲麻呂の進路を塞いだ。
因みに、この勢多の唐橋とは、かつて壬申の乱の折、最後の激戦が起こり、大海人皇子が勝利を決定的にした場所であった。
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