天平宝字6年(762年)6月3日、
孝謙上皇から重大な宣言が出される。
『帝(淳仁天皇)は、言ってはならぬ事を言い、やってはならぬ事をやっている。
自分は仏門に入り、帝とは別居する。
これより、国家の大事は自分が執り、帝は小事のみを執れば良い。』
といった内容だったという。
ここで言う“言ってはならぬ事云々…”というのは、
太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)の意を受けた淳仁天皇が、道鏡を遠ざけようと意見した事と思われる。
それから約2年程、権力の綱引きが続いたようだが、これは孝謙上皇側に反藤原の不満分子が加担したからだと考えられる。
歴史は常に動いている。
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孝謙上皇から重大な宣言が出される。
『帝(淳仁天皇)は、言ってはならぬ事を言い、やってはならぬ事をやっている。
自分は仏門に入り、帝とは別居する。
これより、国家の大事は自分が執り、帝は小事のみを執れば良い。』
といった内容だったという。
ここで言う“言ってはならぬ事云々…”というのは、
太政大臣・藤原仲麻呂(恵美押勝)の意を受けた淳仁天皇が、道鏡を遠ざけようと意見した事と思われる。
それから約2年程、権力の綱引きが続いたようだが、これは孝謙上皇側に反藤原の不満分子が加担したからだと考えられる。
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