天平宝字5年、保良宮に移っていた孝謙上皇は、病に倒れたという。
この時、孝謙上皇の治療に当たったのが、
当時の看病禅師“道鏡”だった。
道鏡は十代の頃、元興寺(かつて蘇我氏が氏寺として建立した法興寺が、平城遷都と伴に移転して来た物)で法相宗を修めたという義淵に師事し、
義淵門下から東大寺初代別当にまでなった良弁からは梵字(古代インド・サンスクリット語)を学び、
当時はまだ日本人にはほぼ理解不能だった
“禅”の心得も有ったという。
その学識をもって、道鏡は宮中の仏殿への立ち入りを許されていたのだとか。
歴史は常に動いている。
この時、孝謙上皇の治療に当たったのが、
当時の看病禅師“道鏡”だった。
道鏡は十代の頃、元興寺(かつて蘇我氏が氏寺として建立した法興寺が、平城遷都と伴に移転して来た物)で法相宗を修めたという義淵に師事し、
義淵門下から東大寺初代別当にまでなった良弁からは梵字(古代インド・サンスクリット語)を学び、
当時はまだ日本人にはほぼ理解不能だった
“禅”の心得も有ったという。
その学識をもって、道鏡は宮中の仏殿への立ち入りを許されていたのだとか。
歴史は常に動いている。