天平宝字6年(762年)5月23日、
淳仁天皇は平城宮に戻ったが、孝謙上皇は内裏ではなく法華寺に入ってしまったという。
続日本紀には、
『帝と隙あり。』
と記されているのだが、
要するに、淳仁天皇と孝謙上皇の対立が表面化したという事である。
原因は、保良宮で孝謙上皇が病に倒れた事にあったようだ。
歴史は常に動いている。
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淳仁天皇は平城宮に戻ったが、孝謙上皇は内裏ではなく法華寺に入ってしまったという。
続日本紀には、
『帝と隙あり。』
と記されているのだが、
要するに、淳仁天皇と孝謙上皇の対立が表面化したという事である。
原因は、保良宮で孝謙上皇が病に倒れた事にあったようだ。
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