天平宝字2年(758年)8月1日
聖武天皇の娘・孝謙天皇が、大炊王(おおいおう※天武天皇の孫)に譲位した。

大炊王は即位して淳仁天皇となると、藤原南家・武智麻呂の次男(不比等の孫)・仲麻呂を太保(右大臣)とした。

そして、同年8月25日
仲麻呂は姓に“恵美”の二文字を付ける事を許され、同時に“押勝”の名も賜ったという。

藤原恵美朝臣押勝(ふじわらえみのあそんおしかつ)
の誕生である。

“汎恵の美、これより美なるは無し。暴を禁じ強に勝ち、矛を止め乱を静む。”
という意味だとか。

それから2年後、
天平宝字4年(760年)1月、
仲麻呂は皇族以外では史上初の太政大臣となる。

朝堂は藤原氏の天下となりつつあった…。


歴史は常に動いている。