関東で古河公方・足利成氏と堀越公方・足利政知の並立が始まった翌年、
全国的な旱魃(かんばつ)になったという。

長録3年(1459年)8月、畿内を台風が襲い、京の加茂川が氾濫。
死者数は把握不能な程だったとか。

寛正元年(1460年)にはまたも旱魃。

そして寛正2年(1461年)には虫害や疫病が重なり、飢饉は酷くなる一方であった。
この年には、大量の死体で加茂川の流れがせき止められる程だったという。

こんな折り、室町幕府8代将軍・足利義政は、まるで現実から目を背けるがごとく、将軍家の邸宅(通称・花の御所)の改築をしていた。

世間で起こっている凶事を意に介さない義政に対し、後花園天皇が苦言を呈す事にもなったそうだが、
義政は耳を貸す様子も無かったという。

度重なる関東政策の失敗と、その直後の自然災害 が、義政の将軍としての政治意欲を奪って行った様であった…。


歴史は常に動いている。