六代将軍・足利義教を討ち取った赤松満祐は、自身が守護を勤めていた播磨国へ逃れると、
足利尊氏の庶子・直冬の孫と称する足利義尊(あしかがよしたか)を新たな将軍として擁立したという。
一方、室町幕府では、管領・細川持之が、亡き将軍・義教の嫡子・義勝(当時9歳)を7代将軍として擁立したものの、
専制政治を行っていた義教の突然の死により混乱が続いていた。
管領の名において西国守護を動員し赤松満祐討伐軍を編成し、播磨へ攻め込むも、逆に赤松勢に圧倒されてしまったという。
そこで管領・細川持之は、朝廷の力を利用しようと考えたようだ。
歴史は常に動いている。
足利尊氏の庶子・直冬の孫と称する足利義尊(あしかがよしたか)を新たな将軍として擁立したという。
一方、室町幕府では、管領・細川持之が、亡き将軍・義教の嫡子・義勝(当時9歳)を7代将軍として擁立したものの、
専制政治を行っていた義教の突然の死により混乱が続いていた。
管領の名において西国守護を動員し赤松満祐討伐軍を編成し、播磨へ攻め込むも、逆に赤松勢に圧倒されてしまったという。
そこで管領・細川持之は、朝廷の力を利用しようと考えたようだ。
歴史は常に動いている。