浄妙寺境内の喜泉庵で休憩した面々が、次に向かったのが報国寺。

通称“竹寺”。

開基は足利尊氏の祖父・家時だとか。

1439年、永享の乱に敗れた最後の鎌倉公方(かまくらくぼう※室町幕府が関東支配の為に置いた“鎌倉府”の責任者)足利持氏の長子・義久が自害した場所でもある。

竹寺の異名の由来となったのは、
かつて報国寺境内に存在した“休耕庵”という塔頭(たっちゅう)の跡地にできた竹林である。

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