慶応4年(1868年)8月21日、
太平洋側の二本松藩を攻略した新政府軍が、東から猪苗代湖北部に進んで来た。

母成峠での迎撃戦をする事になったが、いかんせん会津側の数が少なかった。

守備側は会津藩兵に旧幕府伝習隊、仙台藩兵、二本松藩からの敗残兵に新撰組を合わせて、
約800。

対して、母成峠に迫った新政府軍は、
約2200。

結果、母成峠の守備隊は、一日と持たずに敗走してしまったという。


歴史は常に動いている。