慶応4年(1868年)閏4月25日、
白河城に新政府軍が現れた。

会津朱雀隊並びに会津新撰組は、
5月1日まではよく戦ったが、ついに抗し切れずに白河城を追われてしまう。

その後、会津側は白河城を奪い返そうと何度も挑むものの、これは実現出来なかった。

8月に入ると、新政府軍は会津南部からだけでなく、太平洋側の二本松藩を陥落させた部隊が東からも迫りつつあった…。


歴史は常に動いている。