甲府敗走の後、今戸・称福寺に集められた負傷者は、斎藤一指揮の下、今戸から舟で行徳へ向かったようだ。
そして行徳から利根川を会津藩の輸送船で下総境(現・茨城県境町)まで遡上。
境から鬼怒川まで徒歩移動すると、上流の下野板戸まで再び船に乗ったものと思われる。
下野板戸からは、奥州街道を北上して行ったようだ。
その間、板橋では政府軍に捕縛された近藤勇が斬首されていた。
歴史は常に動いている。
そして行徳から利根川を会津藩の輸送船で下総境(現・茨城県境町)まで遡上。
境から鬼怒川まで徒歩移動すると、上流の下野板戸まで再び船に乗ったものと思われる。
下野板戸からは、奥州街道を北上して行ったようだ。
その間、板橋では政府軍に捕縛された近藤勇が斬首されていた。
歴史は常に動いている。