慶応4年(1868年)3月1日、
新撰組は
“甲陽鎮撫隊”と称し、甲府城接収に向かった。

しかし、一足先に新政府軍が甲府城に到着。

甲陽鎮撫隊は、呆気なく蹴散らされ、江戸に戻った。

この時、斎藤一は江戸・今戸の称福寺に集められた怪我人を率いて、会津に向かったという…。


歴史は常に動いている。