慶応3年(1867年)11月18日、
8日前に新撰組屯所に現れた斎藤一からもたらされた
“御陵衛士による新撰組トップ暗殺計画”
を逆手に取り、
近藤勇は伊東甲子太郎を亡き者にした。

勢いに乗じた新撰組は、伊東の遺体を引き取りに来た御陵衛士を、大勢で襲撃し、

藤堂平助
毛内有之助
服部武雄

の3人を斬殺した。

御陵衛士のうち、その場から逃れた4人は、薩摩潘二本松藩邸に逃げ込んだという。

世に言う“油小路の変”である。

が、しかし、近年、この件に関しては不審な点がいくつか浮かび上がっている…。


歴史は常に動いている。