文久3年(1863年)4月15日、
京都守護職お預かりとなった壬生浪士組は、会津中将に招かれ、
剣術稽古を披露したという。

会津本陣の記録によると、

土方歳三vs藤堂平助

永倉新八vs斎藤一

平山五郎vs佐伯又三郎

山南敬助vs沖田総司

といった順で行われたようだ。

この段階で、壬生浪士組の中から会津中将に剣術を披露する代表メンバーに選ばれているところを見ると、斎藤一は近藤勇や芹沢鴨から既に十二分な腕が有ると認識されていたという事であろうか…?

この時、斎藤一は若干20歳。

沖田総司よりも、実は若かった。


歴史は常に動いている。