後に、『安政東海地震』と呼ばれる巨大地震のあった翌日の夜、
嘉永7年11月5日七ツ半頃(1854年12月24日午後5時頃)、土佐国高知城下を激震が襲い、大混乱に陥ったという。

この時、畿内から九州北東部に至る広い範囲で地震による被害が出たようだ。

特に、紀伊半島南部から大阪・播磨、そして四国の太平洋沿岸部での揺れは大きく、夕食の支度で火を使う時間と重なり、被害が拡大したという。

高知城下は火災で壊滅。
土佐潘の報告だけでも372名の死者が出ている。

そして…

やはり、津波が発生した。


歴史は常に動いている。