諏訪一党43名が鎌倉の勝長寿院で自害した後、
北条時行は何処かへと姿をくらましていた。
建武2年(1335年)9月27日、足利尊氏は時行を奉じた諏訪勢と戦った将兵に対し、独断で恩賞授与を始めた。
慌てた建武政権は、尊氏に上洛命令を出すも、完全に無視されてしまう。
足利尊氏の、建武政権からの離反が決定的となった瞬間であった。
その二年後、延元2年(1337年)
北条時行は、京から吉野に在所を移し“南朝”を開いていた後醍醐天皇に拝謁していた…。
歴史は常に動いている。
北条時行は何処かへと姿をくらましていた。
建武2年(1335年)9月27日、足利尊氏は時行を奉じた諏訪勢と戦った将兵に対し、独断で恩賞授与を始めた。
慌てた建武政権は、尊氏に上洛命令を出すも、完全に無視されてしまう。
足利尊氏の、建武政権からの離反が決定的となった瞬間であった。
その二年後、延元2年(1337年)
北条時行は、京から吉野に在所を移し“南朝”を開いていた後醍醐天皇に拝謁していた…。
歴史は常に動いている。