勅許を得ないまま出陣するも、
“征東将軍”
に追認された足利尊氏は、弟・直義と合流し
建武2年(1335年)8月9日、遠江国橋本(現・愛知県湖西市)で諏訪勢と激突。
若干、諏訪勢を押し戻し、
8月12日には遠江国東部の小夜の中山(さよのなかやま※現・静岡県掛川市)の峠での激戦で、足利方の武将・今川頼国が諏訪勢に加わっていた北条名越流・邦時を討ち取った。
8月14日には駿河国の清見関、
17日には箱根
と、激戦は続きつつも、足利方はじわじわと諏訪勢を押し戻した。
しかし、8月18日の相模川の戦いでは、小夜の中山で名越邦時を討ち取った足利方の今川頼国と、その弟・頼周が戦死したという。
歴史は常に動いている。
“征東将軍”
に追認された足利尊氏は、弟・直義と合流し
建武2年(1335年)8月9日、遠江国橋本(現・愛知県湖西市)で諏訪勢と激突。
若干、諏訪勢を押し戻し、
8月12日には遠江国東部の小夜の中山(さよのなかやま※現・静岡県掛川市)の峠での激戦で、足利方の武将・今川頼国が諏訪勢に加わっていた北条名越流・邦時を討ち取った。
8月14日には駿河国の清見関、
17日には箱根
と、激戦は続きつつも、足利方はじわじわと諏訪勢を押し戻した。
しかし、8月18日の相模川の戦いでは、小夜の中山で名越邦時を討ち取った足利方の今川頼国と、その弟・頼周が戦死したという。
歴史は常に動いている。