そもそも諏訪氏とは、諏訪湖畔に鎮座する諏訪大社の神職の最高位・大祝(おおほおり)を世襲する一族である。

同時に、出雲神話における“国ゆずり”エピソードで、スサノヲ亡き後の高天原で最強と目される武神・タケミカヅチに果敢に挑むも敗れ、諏訪まで逃走の後に屈服したタケミナカタ(オホクニヌシの子)を氏神(先祖)とする、特殊な武家でもある。

源平の合戦の折には、どちらに味方するか迷っていたところ、大祝の夢にタケミナカタが顕れ、白旗の方向を指し示したので、源頼朝の下に馳せ参じたという。

それ以来、諏訪氏は鎌倉幕府御家人となったのだが、北条得宗家が執権として鎌倉幕府の実権を握ってからは、得宗家の下に付き、
一族の命脈を保ってきたらしい。

鎌倉幕府の実権を握ったとは言え、
北条得宗家もまた征夷大将軍の下に居る御家人の一人という位置付けである事に変わりは無く、結果、諏訪氏は御家人の下に居る家人(御内人※みうちびと)となってしまった。

そんな諏訪氏が代々管理を任されていた広大な諏訪大社の社領に、
第14代執権・北条高時の遺児“時行”は2年程暮らしていたと思われる。


歴史は常に動いている。