新田勢に占拠された鎌倉を見下ろす位置に建つ
北条得宗家菩提寺『東勝寺』から脱出した男児…
それは、病を理由に既に職を辞していた
第14代執権・北条高時の次男“時行”。
当時8歳だった時行を連れ出したのは、かつては源頼朝の御家人だった諏訪氏の一族で、この頃は北条得宗家の家人(御内人※みうちびと)となっていた
“諏訪盛高”だったと伝えられている。
この行動は、執権職を退いたとは言え、北条得宗家当主として、依然、一族の頂点に君臨していた高時の意志だったのか、
或いは、まだ僅か8歳の子供を死なせたくないと考えた諏訪盛高の独断だったのかは、今となっては判らない…。
それから2年後、
建武2年(1335年)、10歳になった時行は
信濃に居た。
歴史は常に動いている。
北条得宗家菩提寺『東勝寺』から脱出した男児…
それは、病を理由に既に職を辞していた
第14代執権・北条高時の次男“時行”。
当時8歳だった時行を連れ出したのは、かつては源頼朝の御家人だった諏訪氏の一族で、この頃は北条得宗家の家人(御内人※みうちびと)となっていた
“諏訪盛高”だったと伝えられている。
この行動は、執権職を退いたとは言え、北条得宗家当主として、依然、一族の頂点に君臨していた高時の意志だったのか、
或いは、まだ僅か8歳の子供を死なせたくないと考えた諏訪盛高の独断だったのかは、今となっては判らない…。
それから2年後、
建武2年(1335年)、10歳になった時行は
信濃に居た。
歴史は常に動いている。