寛仁3年(1019年)7月7日、大宰府に情報をもたらした長嶺諸近(ながみねもろちか)であったが、時は折しも遣唐使が廃止されて以降、日本人の海外渡航が公式的には禁じられていた時代である。

諸近は何かしらの処罰を受けてしまったという。

以降、諸近の名は記録に出て来なくなるので、どうなったのかは不明である。

さて、諸近の一族であるが、妻子ならびに母親は、武装組織が北九州から逃げる際に、海に落とされてしまったようである。

逃走の足手まといとなる者を海に棄てたという事であろう。

僅かに、伯母(おば)だけが生き残っていたそうである。


歴史は常に動いている。