寛仁3年(1019年)3月末から4月前半にかけて
対馬・壱岐・北九州に攻撃を仕掛けて来た謎の武装組織。

この時、“敵”と交戦した武士団の証言によると、

“相手側から放たれた矢は、鎧の肩部分を貫通する程の威力があり、日本側の使う和弓の矢よりも短く太かった。”

という。

かつて当ブログでも書いた“元寇”の時に触れた事もあるが、この話からすぐに連想されるのは
“弩”という、西洋のクロスボウ或はボウガンの様な物だ。

中国史に詳しい友人の話では、“弩”は官制の武器で、正規軍の武器庫で厳重に管理される程のシロモノであり、野盗・海賊レベルでは、まとまった数を揃えるなど通常ならば不可能だそうだ。

では、あの時、対馬・壱岐を蹂躙した武装組織は、
大陸のいずれかの国の正規軍だったのであろうか?

他の証言もあたってみたい。


歴史は常に動いている。