筥王丸が箱根権現で仇・工藤祐経と遭遇しつつも、本懐を遂げるどころか逆に諭され“赤木柄の短刀”を貰い受けてしまった日から三年後の建久元年(1190年)、
兄・曽我十郎祐成(かつての一萬丸)が筥王丸を伴って北条時政の所に現れた。

筥王丸は箱根権現別当の下で出家する事よりも、兄と共に仇討ちを成就する事を望み、
兄・十郎祐成(一萬丸)は曽我荘以外に所領の無い曽我家では、弟に分与する土地も無く、困っていたようである。

また、縁は奇妙なもので、この兄弟の祖父にあたる亡き伊東祐親の娘が、北条時政の最初の妻だったという事もあったので、時政を頼ったと言われている。

そしてこの時、曽我十郎祐成は北条時政に弟の烏帽子親となってもらい、筥王丸を元服させる。

これ以降、筥王丸は
“曽我五郎時致(そがごろうときむね)”
と名乗るようになった。


歴史は常に動いている。