流刑囚・源頼朝と自身の三女・八重姫との間に男子(千鶴丸)が出来てしまった事を知り、動揺した伊東祐親。

平家から頼朝の監視を命じられていたという立場上、これは監督不行き届きどころではない。

下手をすれば、源氏の後継ぎと通じたと解釈され、自身の一族郎党に至るまで処断されかねない事態である。

最悪の事態になる事を怖れた伊東祐親は、当時ようやく3歳になった千鶴丸を松川に沈めて殺してしまった。

次いで、流刑囚・源頼朝をも亡き者にしようと考えたようだ。

しかし、ここでも運は頼朝に味方した。

かつて頼朝の乳母をしていた“比企尼”の三女が、伊東祐親の次男・祐清に嫁いでいたのだ。

比企尼を通じて頼朝と密かに懇意になっていた祐清は、父・祐親の企みを頼朝に知らせたという。

頼朝は熱海の伊豆山神社まで逃げ、
やはり頼朝の監視役を担っていた伊豆北条荘の豪族・北条時政の館に入り難を逃れた。

この時、北条時政が先々の事を見越した上で頼朝を助けたのか否か、その点については謎である。

翌、安元2年(1176年)10月、
やがて大事件に発展する動きがある…。


歴史は常に動いている。