伊東祐親は、工藤祐経が在京中に伊東荘を奪取したわけだが、
これより前に、実は1159年の“平治の乱”で敗れた源義朝の三男・頼朝が伊豆に配流され、その監視の役を担っていた。

親平家方の豪族として、平清盛からの信任を得ていたらしい。

1172年頃、伊東祐親は任期が3年の“京大番役”として御所の警護に就く為に伊豆を離れたようだが、この間に祐親の娘・八重姫が、なんと流刑中の源頼朝とデキてしまい、千鶴丸という男子まで生まれたというのだ。

安元元年(1175年)、京大番役の任期を終えて伊東荘に戻って来た祐親は、さすがに焦ったようだ。

なにしろ、自分の娘が平家の敵“源氏”の棟梁の息子との間に男子を作ってしまったのだから。


歴史は常に動いている。