平安時代末期、所領争いが各地で起こっていたが、
これは伊豆国伊東荘(現在の静岡県伊東市)の話である。
当時、伊東荘を領有していた豪族・工藤祐隆(くどうすけたか)の嫡男・祐家(すけいえ)が早世してしまった。
祐家の嫡男・“伊東”祐親(すけちか)が次期惣領となるかと思われたのだが、工藤祐隆(伊東祐親から見れば祖父)は、自身の後妻の連れ子であった“祐継(すけつぐ)”を嫡男として伊東荘を与えてしまったという。
一方、伊東祐親は次男という扱いをされ、本領では無い河津荘を与えられたそうだが、この状況が面白いはずもなく、立場逆転の機会を伺っていたようだ。
これがやがて17年越しの大事件に発展するとは、誰も予想できなかったに違いない。
歴史は常に動いている。
これは伊豆国伊東荘(現在の静岡県伊東市)の話である。
当時、伊東荘を領有していた豪族・工藤祐隆(くどうすけたか)の嫡男・祐家(すけいえ)が早世してしまった。
祐家の嫡男・“伊東”祐親(すけちか)が次期惣領となるかと思われたのだが、工藤祐隆(伊東祐親から見れば祖父)は、自身の後妻の連れ子であった“祐継(すけつぐ)”を嫡男として伊東荘を与えてしまったという。
一方、伊東祐親は次男という扱いをされ、本領では無い河津荘を与えられたそうだが、この状況が面白いはずもなく、立場逆転の機会を伺っていたようだ。
これがやがて17年越しの大事件に発展するとは、誰も予想できなかったに違いない。
歴史は常に動いている。