乙巳の変の後、皇極帝の退位~孝徳帝即位するも、中大兄皇子&中臣鎌足主導で孝徳帝をシカト~皇極帝が重祚して斉明帝治世へ…
と、なるわけだが、この斉明帝の時代、やはり皇太子であった中大兄皇子&鎌足主導で物事は回っていた。

日本書紀には、斉明帝治世で大規模な土木工事が行われ、庶民には無理のある労役が課せられ、

“斉明帝はまるで狂ってしまわれた様だ。”

と、人々は噂し、眉をひそめたという様子が書かれている。

この不満、実のところは中大兄皇子&鎌足に向けられた物であろう。

そしてその後の白村江の敗戦…

既に滅亡した国家・百済復活の為に、中大兄皇子は旧百済重臣の願いを聞き入れ、無謀な戦いに突入し、案の定敗れる。

その後の飛鳥から近江への遷都の際、造営中の近江大津宮では、謎の火災が相次いだそうだ。

おそらくは、放火であろう。

かつて、“改革の旗手”を暗殺してまで政権を手に入れ、“改革潰し”に成功した“保守系抵抗勢力”が、その後の政権運営に失敗し、人気を失って行く様が垣間見られる。

これが、壬申の乱の時、近江朝から離反する者が大量に出た遠因にもなっていると思われる。

詳しくは、今年4月16日に放送した私の出演番組
『歴史のお話』
第5回・大化の改新特集

の、アーカイブを御覧頂きたい。

“ユーストリーム 歴史のお話”

で、検索して頂ければすぐに見つかるだろう。


歴史は常に動いている。