671年6月29日、大伴吹負(おおとものふけい)が旧都・飛鳥で挙兵する。
と言っても、僅か数十名であった。

これに対し、飛鳥に集結中の近江朝軍は数千。

しかし、この時、大伴吹負は、大海人皇子の長子・高市皇子(たけちのみこ)が大軍勢を率いて不破からやって来るというデマを流したという。

これがあっさりと的中。

近江朝軍は大変動揺し、多くが大伴吹負側に寝返ってしまったらしい。

それからの大伴吹負軍は一進一退であったが、苦戦しつつもなんとか飛鳥を死守したという。

因みに大伴吹負とは、孝徳天皇の時代の大臣・大伴長徳の弟であったが、天智天皇の治世では政権に入らずに不遇の時を過ごしていたようだ。

この大伴吹負のデマを信じ、近江朝軍の多くの兵が寝返ってしまったあたり、実は天智天皇~大友皇子の近江朝に対する不満が増大していたのではないだろうか…?


歴史は常に動いている。