大同4年(809年)、ようやく入京できた空海は、かつて最澄が南都六宗の僧侶達に講義を行った和気氏の氏寺・高雄山寺に入った。

ここで、以前の記事にも書いたとおり、空海は最澄の訪問を受け、折に触れ密教関係の質問に答えていたらしい。

翌年、都では一大事件が起こる。

今年3月初旬の記事で触れた、世に言う
“薬子の変”
である。

平城上皇と嵯峨天皇の兄弟の対立~二所朝廷の状態になってしまった時、
嵯峨天皇側からの要請だったのか、自身からの奏上だったのかは定かでは無いが、
空海は鎮護国家の為の祈祷を行ったという。


歴史は常に動いている。