大同4年(809年)、桓武天皇の後を継いだ平城天皇が僅か3年で退位し、弟の嵯峨天皇が即位する。

大宰府に滞在していた空海は、ここでようやく都に入る。

帰国してから約3年間に渡って、都に入らなかったわけは、おそらくは早すぎた帰国が関係しているものと思われる。

空海は“留学生(るがくしょう)”という、
唐で10年以上の長期に渡る勉学を義務付けられた身分だったにも拘わらず、2年程で密教を体得して帰国したのである。

これは、言うなれば規則違反、もしくは法律違反とされ、捕縛される危険性も有ったかも知れない。

それ故、しばらくは都に近付かなかったとも言われている。

また、平城天皇から嵯峨天皇への譲位のタイミングで、桓武天皇の側近くに内共奉として仕えていた最澄が、九州大宰府で話題となっていた密教の後継者・空海に興味を持ち、自身の不完全な密教を補完する為に、朝廷に口利きしたとの説も在るようだ。


歴史は常に動いている。