延暦24年(805年)、空海は恵果から6月に胎蔵界灌頂、7月に金剛界灌頂を受けた。
この時、いずれの灌頂でも、空海の投じた華は大日如来の上に落ちたと云われ、金剛界・胎蔵界、両部の大日如来と結縁したとされている。
8月には、伝法阿闍梨(でんぽうあじゃり)位の灌頂を受け、
『遍照金剛(へんじょうこんごう)』
という灌頂名を授けられたという。
因みに、“阿闍梨”とは、今でこそ密教僧の一般的な職種名になっているようであるが、
当時は、密教の全てを体得し、尚且つ、後進の指導にもあたる資格のある、名実共に密教僧の最高位だったらしい。
同年12月、空海に密教の全てを伝授した恵果は、その役目を終えたかの様に60歳でこの世を去ったという。
歴史は常に動いている。
この時、いずれの灌頂でも、空海の投じた華は大日如来の上に落ちたと云われ、金剛界・胎蔵界、両部の大日如来と結縁したとされている。
8月には、伝法阿闍梨(でんぽうあじゃり)位の灌頂を受け、
『遍照金剛(へんじょうこんごう)』
という灌頂名を授けられたという。
因みに、“阿闍梨”とは、今でこそ密教僧の一般的な職種名になっているようであるが、
当時は、密教の全てを体得し、尚且つ、後進の指導にもあたる資格のある、名実共に密教僧の最高位だったらしい。
同年12月、空海に密教の全てを伝授した恵果は、その役目を終えたかの様に60歳でこの世を去ったという。
歴史は常に動いている。