延暦23年(804年)、東大寺戒壇院で受戒した空海は、なんと同年中に出発した遣唐使船に乗っていた。
この時の空海の立場は、
“留学僧(るがくそう)”
と言い、20年という長期間の留学を義務付けられた存在であった。
この時、得度・受戒したばかりの空海が、何故、すぐに遣唐使船に乗る事ができたのかは謎である。
桓武天皇の皇子の一人“伊予親王”に儒教を教えていた阿刀大足が空海の祖父だったから…
なのかどうか、その理由は未だに定かでは無いようだ。
歴史は常に動いている。
この時の空海の立場は、
“留学僧(るがくそう)”
と言い、20年という長期間の留学を義務付けられた存在であった。
この時、得度・受戒したばかりの空海が、何故、すぐに遣唐使船に乗る事ができたのかは謎である。
桓武天皇の皇子の一人“伊予親王”に儒教を教えていた阿刀大足が空海の祖父だったから…
なのかどうか、その理由は未だに定かでは無いようだ。
歴史は常に動いている。