宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)の郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)の下に、一人の男子が誕生した。

幼名を眞魚(まお)という。

15歳になると、眞魚は祖父(母の父)に付いて勉学を始めたという。

この祖父、阿刀大足という人物は、桓武天皇の皇子の一人である伊予親王に指導していた経験も有り、眞魚は“論語”や“孝経”といった、儒教に関わる書を学んだようだ。

そして3年後、延暦8年(789年)18歳になると、京の大学寮に入り、明経道(みょうぎょうどう)という儒教研究の学科に在籍していたらしい。

しかし、この大学寮の勉学を物足りないと感じたのだろうか、眞魚は1年少々で中退してしまったという。

これが、後に朝廷を驚嘆させる識者を誕生させる布石となる…。


歴史は常に動いている。