空海から密教を学ぶ事を断念した最澄は、天台宗の南都六宗との差別化を推進する事に力を注いだようだ。

とりわけ、当時の南都六宗の中でも論客として知られていた法相宗の僧侶
“徳一”との論争は、決着が付いていないという。

これは
『三一権実論争(さんいつごんじつろんそう)』
と呼ばれる物で、
その内容は…

“人間の器は生まれつき決まっていて、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩(ぼさつ)の三段階(三乗)がある。”
と主張する徳一に対し、

“『法華経』では皆が仏になれる一乗(いちじょう)を説いている。”
と、最澄が応じたという物である。

この論争によって、最澄は天台宗の存在を、南都六宗とは違う物だと印象付けたと言えよう。

ただし、この論争は二人の存命中に決着が付かなかった為に、最澄の弟子達が
『徳一の主張は全て論破した。』
と、一方的に発表して終わらせてしまった…らしい。


歴史は常に動いている。