弘仁3年(812年)、最澄は光定・円澄・泰範といった3人の弟子と供に、空海の滞在していた高雄山寺に赴く。

かつて最澄が南都六宗の僧侶達に法華経の講義を行った、あの和気氏の氏寺である。

ここで最澄達は、空海から
“結縁灌頂(けちえんかんじょう)”を受けたのだ。

“結縁灌頂”とは、目隠しをした上で曼陀羅絵図の上に花びらを投げ、花びらの落ちた所に描かれた仏と縁を結ぶ
“投華得仏(とうけとくぶつ)”
という作法によって、護り本尊を決める儀式であり、言うなれば“密教”を正式に学ぶ第一歩である。

これは、帝の側に仕える内供奉に任命された程の最澄が、プライドを棄てた瞬間と言えるだろう。


歴史は常に動いている。