最澄は唐に着くとすぐに、傾倒していた天台大師が修行したという天台山に赴いたらしい。
当時の天台山には
中国天台宗第六世“湛然(たんねん)”がおり、最澄は湛然の直弟子である“道邃(どうすい)”から大乗菩薩戒を授かり、“行満(ぎょうまん)”からは天台大師の教えを受けたという。
その後、最澄は竜興寺の順暁(じゅんぎょう)からは密教を、禅林寺のシュクゼンからは禅を学び、約8箇月の唐滞在を終えて帰国する。
こうして、天台大師が重要視した法華経を中心とする天台教学並びに、禅、密を兼学し、日本に持ち帰った最澄だったが、帰国後には思わぬ事態に直面するのである…。
歴史は常に動いている。
当時の天台山には
中国天台宗第六世“湛然(たんねん)”がおり、最澄は湛然の直弟子である“道邃(どうすい)”から大乗菩薩戒を授かり、“行満(ぎょうまん)”からは天台大師の教えを受けたという。
その後、最澄は竜興寺の順暁(じゅんぎょう)からは密教を、禅林寺のシュクゼンからは禅を学び、約8箇月の唐滞在を終えて帰国する。
こうして、天台大師が重要視した法華経を中心とする天台教学並びに、禅、密を兼学し、日本に持ち帰った最澄だったが、帰国後には思わぬ事態に直面するのである…。
歴史は常に動いている。