比叡山に篭ってから12年、南都六宗を飛び出した最澄の名は、桓武天皇の耳にも届いたという。
その頃、桓武天皇は怨霊に悩まされており(現代の感覚で言えば、ノイローゼ・精神的疾患なのかも知れないが)、これを祓う事の出来る者を探していたらしい。
797年、朝廷は最澄を
“内供奉(ないぐぶ)”
に任じ、桓武天皇の相談相手とした。
因みにこの“内供奉”とは、帝の無事平穏を祈る事を主な職務とする。
こうして最澄は、桓武天皇の信頼を得て行く事となる…。
歴史は常に動いている。
その頃、桓武天皇は怨霊に悩まされており(現代の感覚で言えば、ノイローゼ・精神的疾患なのかも知れないが)、これを祓う事の出来る者を探していたらしい。
797年、朝廷は最澄を
“内供奉(ないぐぶ)”
に任じ、桓武天皇の相談相手とした。
因みにこの“内供奉”とは、帝の無事平穏を祈る事を主な職務とする。
こうして最澄は、桓武天皇の信頼を得て行く事となる…。
歴史は常に動いている。