天平神護2年(766年)、一人の男児が生まれた。

先祖は後漢の孝献帝の末裔であり、応神天皇の御代に来日した
“登萬貴王(とまきおう)”
だという伝説を持つ近江の豪族、
三津首百枝(みつのおびとももえ)の子である。

この子は12歳で近江国分寺に入り15歳で得度すると、
延暦4年(785年)、東大寺戒壇院で“受戒”する。

南都六宗で具足戒を受けた正式な僧侶、
“最澄”
の誕生である。


歴史は常に動いている。