東大寺を中心に栄えた南都六宗だったが、これはやはり
『鎮護国家』
の仏教であり、やがて国家権力との癒着という問題が表面化する。

僧侶が国家公務員に等しい存在となっていたこの時代、それは腐敗・堕落の温床にもなってしまったようだ。

その最たる物が、称徳女帝に近付き、やがては帝位までをも狙ったと言われている
“弓削道鏡”事件であろう。

道鏡の野望は、和気清麻呂が伝えた宇佐八幡宮の神託により潰えたが、これは奈良仏教の堕落ばかりか、帝の権威の失墜さえも招いたという。

後に、桓武天皇が平城京を棄て、長岡京を経て平安京に遷都した時、平城京に在った寺院を平安京に移転する事を禁じた。

この遷都の理由の一つが、政教分離という狙いだったからとも言われている…。


歴史は常に動いている。