『元史』“日本伝”によると、元軍が博多から撤退してから僅か半年後の
1275年4月、フビライは杜世忠を使節として再び日本に入貢の催促をしたという。

しかし、鎌倉幕府執権・北条時宗は、杜世忠以下5名の使節団を鎌倉・龍ノ口で斬首としたらしい。

これが、次なる遠征計画
“弘安の役”に影響を与える事になるのか否か…?


歴史は常に動いている。