八幡神の神徳を記す神社縁起である
『八幡愚童訓』
の、蒙古襲来について書かれた部分の中盤から後半には、日本軍が当時の戦のしきたりであった鏑矢(かぶらや)を放つと、その独特な音を聞いた元軍将兵が大爆笑(おそらくは嘲笑)した事が書かれている。

更に、先駆けを試みた者や一騎打ちを申し出た武士達に対して、元軍は“てつはう”や毒矢を使って追い散らし、日本側は一方的に大損害を出して敗走したとされている。

そして、この時、武士達が加護を祈り、亀山天皇までもが“敵国降伏”を祈願したという博多湾近くの筥崎宮(はこざきぐう)からは兵火によるものであろうか。
出火してしまったという。

だがその夜、武士達が敗走してしまい、炎に包まれた筥崎宮から“白装束の者達”が現れ、元軍陣地に対し矢を射かけたという。

これを見た元軍はあわてふためき、我先にと逃げ出し、玄海灘で溺れる者が続出したとされている。

ただし、これは八幡神の神威によって元軍が撤退した事を強調する為に、殊更に日本軍が瓦解したかの様に書かれているので、事実ではないらしい。

これが後に、日本軍が一騎打ちばかりにこだわった為に敗走したという“噂”の出所のようである。


歴史は常に動いている。