文永11年10月(1274年11月)、
蒙古軍25000
高麗軍及び水夫40000
が、
大小合わせて900艘の船団で朝鮮半島を出航した。

因みに、この時の蒙古軍25000には、華北から派遣された部隊の他、高麗領内の駐屯部隊、女真族、漢族等も含まれていたようだが、その内訳までは伝えられていない。

この様に日本遠征に駆り出された大軍勢はかなりの混成部隊ではあるのだが、これが元、日本双方にとって吉と出るか凶と出るか…。


歴史は常に動いている。