後に“二月騒動”と呼ばれる事となる北条一族の内紛により、京の六波羅探題南方が炎上した後、元からの使者・趙良弼が再び大宰府を訪れる。

趙良弼は約一年に渡り滞在するも、結局、日本からの返答を得られずに帰国したという。

趙良弼は帰国すると、フビライに日本と関わる事を中止するように進言していたようである。

具体的には、
“日本人は粗暴で上下関係を知らず、身分相応の礼節もわきまえていない。”
と、伝えたらしい。

趙良弼はこのように敢えて日本の内情を殊更に悪く伝え、
フビライが
“日本は相手にする必要無し。”
と、考えるよう願っていたという。

穿った見方をすれば、この頃まだギリギリ独立を保っていながらも、かなり追い詰められていた“南宋”王家が、いよいよ行き場が無くなった時に亡命できる可能性を日本に求めていたのかも知れない。

故に、“元”が日本に手を伸ばす事は阻止したいと考えていたとも…。

しかしながら、その願いは叶わず、元の大軍勢が海を渡る事となる。


歴史は常に動いている。