太宰府、そして対馬へと、二度に渡ってフビライからの国書が届けられた後、鎌倉幕府はこれを無視したものの、やはり危機感はあったのだろう。
九州に幕府御家人を送り込み、防備を固めつつあったようだ。

そして1271年、三度目の使者がやって来る。
フビライに仕える有能な役人で、南宋出身と思われる
“趙良弼”という人物で、特にフビライの信任も篤かったという。

三度目の国書はかなり強硬な内容で、

“これまでの国書に対し何の返答も無いが、今回も返答が無かった場合、戦争になってもやむを得ない。”

という物だったのである。

しかし、鎌倉幕府はこれもまた無視する。

趙良弼は次の年にも太宰府にやって来て、今度は一年にも渡って交渉するのだが、その間、北条一族内で大事件が起きてしまう…。


歴史は常に動いている。