1268年、南宋がかなり南へ圧迫されつつも、まだ独立を保っていた頃、モンゴル帝国から日本の太宰府へ最初の使者が国書を持ってやって来る。

『元史』の中の“日本伝”によると、その国書の内容は

“日本は開闢以来、中国王朝に朝貢してきた歴史があるにもかかわらず、我が国には使者すらよこさない。
今からでも通好し、親睦をはかりたい。”

という物だったらしい。

意外にも丁寧な物言いのようだが、最後の方には

“兵を動かす事を好む者がいるであろうか?”

等という、挑発的な言葉が出てくるのである。

太宰府から報告を受けた朝廷は、これを無視したという。

すると翌年、また同様の国書を持った使者が対馬に来ると、朝廷は“兵を動かす”という脅し文句に対する抗議を込めた返書を検討したようだが、鎌倉幕府からこれを無視する旨の進言が有った為に、またも黙殺したのである。

その二年後、国号を“元”と改めたフビライから今度はかなり強硬な内容の国書が届く事となる…。


歴史は常に動いている。